プロフィール

ゆかり

  • Author:ゆかり
  • 0歳の頃からアトピー。劇悪化して12年。1970年生まれの既婚・子無し、元看護師です。
    2005年に、アメリカにアトピー治療に行き、2007年6月、完治状態に至りました。
    現在は専業主婦です。

    同じ渡米治療をされた方のブログリンクを募集しています。是非ご一報ください。
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    他の患者さん8-2

     続きです
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     仕事を辞めたからといって症状が落ち着くはずもなく、アトピーは酷くなる一方でした。それからはアトピーに良いといわれるものは全てやり尽くしました。水、クロレラ、塩、漢方、食事・・・。
     そこで行き着いたのが、温泉でした。
     それからは自宅で湯治の毎日。とにかく時間がある限り休憩入れながら入り続けました。一日最低3時間。そんな中、妊娠。嬉しくもありましたが、こんな状態での出産に不安もありました。
     そして結婚式。湯治中なので、必然的に脱ステ状態で、酷い状態のまま臨むしかありませんでした。主人の仕事の関係上、披露宴の延期はできませんでした。皮膚の症状を落ち着かせるため、数日前からステロイドを塗り、本番を迎えました。妊娠に伴う体調不良とじわじわくる痒みに耐えながらの結婚式でした。
     その後も湯治を続け、第一子出産。生まれてからも大変でした。慣れない育児と格闘し、睡眠も儘ならず、その間に、家事と湯治をする事は、今から考えても良く思い出せない位必死だったと思います。泣いている子供をあやす為、抱き上げようとしても浸出液で皮膚同士がくっつき、伸ばせば切れて血がでる。子供を抱っこする、それだけの労作に時間を要し、こんな事すら出来ない母親なんて、私なんて存在する意味があるのか?と自分の境遇を呪い、涙がこぼれました。
     しかし、毎日、湯治を続ける事1年半。改善の兆しが見えました。そこからは、どんどん回復し、職場復帰も果たしました。調子も良く過ごせていたので2人目の妊娠中も特にトラブルなく過ごしました。ところが、出産後、坂を転がり落ちるように悪化し、湯治をしても変化を感じる事は出来ませんでした。
     一度良くなったものが再度悪くなるというのは、精神的にもかなりのダメージでした。何をしてもダメ。全てのものが信じられず、人の顔を見られない、外出したくない。外に出れば、風が吹いただけでも顔がヒリヒリし、真っ赤な私の顔を怪訝そうに見る他人の眼。死んでしまいたい。本気で思いました。おしゃれをして、化粧して、着飾って、女性ならやりたいと思う事が何もできない屈辱は辛かったです。子供達にも1歳を過ぎるまで症状が出ていたので、すれ違う面識も無いような人から「お母さんがアトピー酷いから赤ちゃんもでるのね。可哀想。」と声を掛けられる度、自分のせいで。好きでこんな体になったんじゃないのに。と自己嫌悪とやり場のない怒りに苛まれそうでした。
     しかし脱ステを続けちょっと症状が落ち着いた時、3人目の妊娠が解りました。最後の出産のつもりで、自宅出産を決めました。実家の母に手伝いに来てもらうつもりで。
     ところが、あと2週間で予定日、というある日、突然母は亡くなりました。私に何も伝えずに・・。動脈瘤の破裂でほぼ即死の状態でした。母は教諭で現役でした。私は、1人っ子で両親が共働きだったことで、幼い頃からカギっ子。喘息での入退院も頻繁で、母と遊んだ記憶が殆どありません。そんな私にとって、母が数年で退職した後は旅行の計画や子供達の成長を一緒に見て欲しいと本当に望んでいました。それが突然の別れ。納得出来ないまま出産を迎えました。無い力を振り絞って産み落とした。そんな感じでした。

     そうして子育てや日常に追われる中、アトピーは何をやっても治らない、治らない私に何らかの問題があって、それは諦め、自分のキャラクターとして付き合っていくしかないと思っていました。
     そんなある日、本の検索をしていた時、たまたま明石さんの著書が目に入りました。その解説に引き込まれるように購入しました。読んでいる内にこれは私の事か?と錯覚するほど背景が共通していて、とにかく会って話を聞いてみたい。そう思い早速連絡をとり、会いに行きました。
     明石さんから語られる内容全てが目から鱗の話で、頭では納得できても、様々なアトピービジネスで傷ついた心は当然簡単に納得できずにいました。しかし、同席した主人はアメリカ治療の理論に理解を示し効果を確信していました。私は、今までやってきてダメだったものが、そんな簡単に治るはずは無い。きっとステロイド漬けにされるか、一瞬の効果だけなのだろうと、疑いを拭えませんでした。でもその治療を知って、ダメ元で行ってみたいという気持ちも日々膨らみました。主人は治る理屈が解っているのに迷う必要は無いと後押ししてくれました。父も子供達の世話をしてくれることになりました。私は、直前に予定されていた講演会を見に行って、最終的に決めようと思いました。そこで見たのは、治療後の皆さんの晴れ晴れしい笑顔でした。結果がどうこうよりも、その笑顔こそこの治療の成果を証明していると感じました。そして、治療を知って2カ月足らずで渡米しました。行きの飛行機の中では、乾燥し、傷ついた肌を見つめ、これから受ける治療に不安と期待を巡らせました。

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