プロフィール

ゆかり

  • Author:ゆかり
  • 0歳の頃からアトピー。劇悪化して12年。1970年生まれの既婚・子無し、元看護師です。
    2005年に、アメリカにアトピー治療に行き、2007年6月、完治状態に至りました。
    現在は専業主婦です。

    同じ渡米治療をされた方のブログリンクを募集しています。是非ご一報ください。
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    同級生

     朝、突然一人の同級生を思い出しました。
     名前は永井君。

     彼との出会いは小学校の入学式でした。スーツを着ていて色が白くて目が大きい、ちょっと外人にすら見える男の子でした。
     同じクラスになって、私も彼も体が小さかったので、体育の時間などいつも近くでした。すぐに人にちょっかいを出すので、私もちょっかいを出されてよく喧嘩をしました。でもどこか憎めない感じの子でした。
     忘れ物が多くて、お風呂も時々入っていないような感じの時があって、その内、永井君は弟が一人いて、お父さんがヤクザの父子家庭だという事がわかってきました。担任の美智子先生が時々心配して、学校帰りに見に寄ったりしていたようでした。
     そうこうしている内に、お父さんの妹という人が同居するようになりました。多分、男一人では面倒を見切れなくなって妹に頼んだのでしょう。その叔母さんが来ると、永井君は少しこぎれいになりました。
     私は自分の誕生日会に永井君を招待する事にしました。永井君を誘った時、少し嬉しそうだったのを覚えています。当日はおめかしをして、花束を持ってきてくれたように思います。
     叔母さんは数ヶ月いて、またいなくなり、そしてまた来て一年以上いた時もありました。永井君は幼い弟の面倒をよく見る、優しい弟思いの子でした。
     
     その内クラス替えでクラスが離れました。そして数年後、永井君はお母さんの所に行く事になりました。お父さんが永井君兄弟のどっちかだけ、と言ってもめたようでしたが、結局兄弟で行きました。私は永井君にとって良かったと思いました。
    「永井君、お母さんの所に行くの?」
    と聞いた時、
    「うん。でも多分また、戻ってくるよ」
    と言っていました。
     数年後、永井君はまた戻ってきました。そしてまた、時々おばさんが数ヶ月いる、という生活に戻りました。
     中学生になって、永井君は私と同じ部活に入りました。文化部だったので、おとなしい男の子が多く、人数も少なかったので、永井君は仲良くやっていました。けれど徐々に悪い友達に捕まるようになりました。心根が優しい永井君を利用するような友達でした。永井君も嫌と言えなかったようです。
     そして万引きで捕まった事もありました。

     中学3年の時だったでしょうか。私の友達が永井君の事を好きになりました。そして、思い切って告白したのです。
     私は上手くいって欲しいと思いました。彼の人生に明るい日差しが入るような気がして。でも結果は残念なものでした。
     そして何となくですが、ひょっとして彼は私の事が好きなのかな?と思ったりしました。そしたらある日突然永井君に
    「俺、あんたの事、好きじゃないよ」
    と、言われました。唐突だったのでびっくりしました。ま、そうだったか、と思いました。

     高校進学の時期になり、永井君ともお別れの時期が近づいてきました。私は永井君に、進学したら真面目に勉強する事、悪い友達とは縁を切る事、そうした事を言いました。永井君は
    「わかっているよ」
    と言いました。進学先は専門学校で、真面目にやれば資格がたくさん取れる学校という評判の所でした。私はとにかく永井君の心根にふさわしい人生を歩んで欲しい、それをひたすら願っていました。

     高校に入学し、永井君とは離れた生活を送っていました。けれど永井君と中学から仲の良かった同級生がいて、その彼が時々私と会うと永井君の近況を知らせてくれました。
    「あいつ、真面目に学校行ってるぜ」
    と、言っていたので、私はホッとしました。

     ところがある日、その彼が
    「永井、入院したって。骨肉腫っていう病気で、左足を切断するって」
    と、知らせてくれました。それを聞いた時、信じられませんでした。でもその後、
    「この間行って来たけど、本当に足、切断した。でも元気だったよ」
    と聞きました。
     私と永井君は特別仲が良かったわけではありません。しかも家庭の事情も複雑なので、お見舞いに行った方がいいのか、行かない方がいいのか、判断できず、そのまま時間が経過してしまいました。
     その後、永井君はどうにか復学をしたそうでした。けれど数ヵ月後、再発し、最後はお母さんの所に行って息を引き取った、という事でした。17歳でした。

     「薄幸」という言葉があるけれど、あんまりの運命のように思いました。
     一つ、私が良かった、と思った事は、永井君に私の友達が告白した事です。彼の短い人生に、ほんの少しでも色が入ったような気がして。結果はどうであれ、人が人を好きになる事、そしてそれを伝える事は素晴らしい事だな、と思いました。

     彼が本当に幸が薄かったのかどうか、それは私にはわかりませんが、私は彼が幸せになる姿が見たかったです。彼の人柄にふさわしい人達に囲まれて、愛情に包まれた様子が見たかったです。

     今でも年に数回、急に永井君の事を思い出す事があります。
     勇気を出してお見舞いに、行っておけば良かったな、と思います。きっと喜んでくれただろうに、と。

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    COMMENT

    Re: 大切なお話を…

    瑠璃色さん

    小説、なんて言ってくださってありがとうございます。恐縮です。

    永井君はずっと気になる存在でした。
    とても人懐っこくて我慢強い子だったんです。
    まさか17歳で亡くなるとは思いもしなかったです。
    残念でなりません。

    先日、急に思い出して泣けて泣けて・・・、でした。

    大切なお話を…

    じわっと沁みるお話でした。
    表現がお上手なので小説を読むような気持ちで読みました。
    でも、これが真実というものなのですね。
    サラッと読めてしまっても、やはりずっしりと重みが感じられます。

    永井君はゆかりさんのことをやっぱり好きだった様に思えます。
    彼の言葉がそれを表しているような気がします。
    そんなに親しくはないけど時々接点のある友人で、でも気になる存在で…
    彼をきょうだいの様に思いやるゆかりさんの面倒見のよい人柄にも深みのあるあたたかみを覚えます。
    それはいつものブログの中からも感じられていましたが。

    お見舞いに行ったらきっと喜んだのでしょうね。

    そういう思いをすると、後悔しない為に今自分にできることを大切にするようになりますよね。

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