プロフィール

ゆかり

  • Author:ゆかり
  • 0歳の頃からアトピー。劇悪化して12年。1970年生まれの既婚・子無し、元看護師です。
    2005年に、アメリカにアトピー治療に行き、2007年6月、完治状態に至りました。
    現在は専業主婦です。

    同じ渡米治療をされた方のブログリンクを募集しています。是非ご一報ください。
月別アーカイブ
フリーエリア

    follow me on Twitter

    ブロとも申請フォーム
    Translation(自動翻訳) 縦型エキサイト版

    他の患者さん10-5

    続きです。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    そんな時、ネットでゆかりさんのブログを知りました。とにかく最初から最後まで必死になって読みました。正直、私が渡米治療した頃とは色々と変わっていて驚きました。それに、セルフケアがいかに大事かというのもそこで再確認させていただきました。
    そしてある日のゆかりさんのブログを読んで、我慢をする必要はないんだという事に気付き、ゆかりさんにメールを送りました。

    すぐに返事を頂いて、相談にのっていただくようになりました。

    まずは自分が良くなることを考えて母乳を諦め、ドクターに再診を依頼してショートバーストも開始しました。アレルギーの薬も飲み、ドキシペンをしっかり飲んでみたら夜のぐっすり眠れること眠れること!痒みもだいぶ引き、体がどんどん楽になっていきました。
    ゆかりさんにアドバイスをいただきながら、洗濯方法・洗剤の見直し、一日二回のお風呂も再開、とにかく周りに頼って赤ちゃんを見てもらいながら、出来ることはやりました。

    一時よりは良くなったものの、あと一歩がなかなか良くならず。そんな時にやっとAAJの明石さんに連絡を取ってみることになりました。
    電話やスカイプでお話をし、結果、アレルギーではないかと・・・顔に赤みが出たり、目の痒みというのは明らかにアレルギーであるという事。
    まさかまさかのお話でした。そんなお話をしているときに実家のエアコンを付けた途端、顔が真っ赤になりました。エアコンはかなり古いもので20年も前のもの、掃除など一度もしたことのない代物でした。それでアレルギーなんだと確信したのです。
    その時点でアレルギーの注射を止めて3年が経っていましたが、それだけ経っているとそのまま再開は無理との事で、再渡米をしてアレルギー注射の治療を再開することになりました。
    決めてから一ヶ月もせずに再渡米の日程が決まりました。

    渡米後すぐにアレルギーの検査に向かい、すぐに反応が出ました。以前と同じ、埃・ダニ・カビ・猫・背の低い雑草類です。ボトルも同じく二本でした。
    ドクターマセソンの再診も受け、洗剤にシャンプーに見直すようにとの指示でした。
    今回の悪化は妊娠によるもの。妊娠というのはどうなるかわからない、ということでした。アトピーが好転する人もいれば、私のように悪化する人もいるとのこと。
    更に、同じ人でも1回目、2回目の妊娠では症状が違うこともあるそうです。

    再渡米では最初の時のようにすぐに症状が落ち着く、ということはありませんでした。渡米中にショートバーストもしました。
    それには年齢も関係したかもしれません。前回は28歳、今回は36歳です。
    今回はアレルギー治療が目的でしたので、滞在期間は二週間でした。他の患者さんは私を含めて6人で、最初こそ皆さんは寝て過ごす日々でしたが、後半は皆でショッピングに行ったりプールに入ったり、夜はステファニーとダイスゲームで遊んだりととても楽しい滞在生活でした。

    帰国して半年くらいはショートバーストを繰り返していました。ショートバーストを繰り返すことで、皮膚がだんだん強くなる、ということを確信していたから躊躇はしませんでした。
    顔の赤みもなかなか取れませんでしたが、2、3度目のショートバースト後、約4か月くらいで急に赤みがでなくなりました。唇のヘルペスも自分では気付かずに長い間放置していて、アシクロビルを飲み始めたのも良かったのかもしれません。
    私の最後の砦は手でした。手の平の水泡や指のジュクジュクがなかなか良くならず。ドクターマセソンには、子供が大きくなるまでは繰り返すだろう、と言われました。
    手の湿疹のためだけにショートバーストを繰り返していました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。
    スポンサーサイト

    他の患者さん10-4

    続きです。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    帰国して最初の悪化は耳たぶでした。耳たぶがただれてしまったんです。そこで初めてのショートバースト。
    リバウンドの時は別ですが、以前は耳たぶがそのようになることはありませんでした。しばらくして鎮静。

    その後も何度かショートバーストはしましたが、毛嚢炎やニキビなども多かったです。

    私は良くなるスピードが速かったので、とても楽観視してしまいました。
    元々ずぼらな性格、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんです。スキンケアは帰国後すぐにいいかげんになり、お風呂は一日一回、シャワーで済ませる事の方が多くなりました。アレルギー注射だけは真面目にやっていました。

    渡米治療前は、友達と約束があっても顔が赤くなったりすると、ドタキャンしたりなんてしょっちゅうで。
    明日はどうなっているのかわからず、どんどん友達とも疎遠になっていきました。約束をするのが怖かったです。

    でも、渡米してからは大好きなダンスも復活し、舞台にも出演したりチームを組んでイベントに出たりもしていました。
    先生に付いてアシスタントまでしていました。

    アレルギーの注射は正直早くやめたくて仕方なく、5年半経った33歳の時にアメリカオフィスのアドバイザーに相談をして、やめてみる事になりました。

    私は自分の体に鈍感で、アレルギー注射もどのように作用していたのか、アトピー治療にどのくらいの効果があるのか、ゆかりさんのブログの存在も知らず、AAJの明石さんとやりとりをしていたわけでもないので、新しい情報など、一切知りませんでした。

    アレルギー注射をやめた時、まだ目の痒みは残っていたんですが、それがどういう事なのかもまるで考えていませんでした。

    ですがその後特に悪化することもなく、たまに湿疹はできるものの、普通に生活をしていました。
    その頃には洗濯やスキンケアに気を付ける事もほとんどなくなっていました。

    そして34歳で妊娠。
    念願の妊娠で嬉しくはありましたが、妊娠してから湿疹は悪化し出しました。
    顔も赤くなり、体も湿疹、乾燥がどんどん広がり・・・今まで効いていた体に塗るステロイド、タックが全く効きませんでした。

    アメリカオフィスへの相談、ドクターへの再診など、慌ててしましたが、妊娠中ということもあり、どうすることも出来ませんでした。
    とにかくスキンケアをしっかりするようには気を付けましたが、一度崩れ出した症状はなかなか修復することができませんでした。

    一人目の妊娠・出産はとにかく辛かったです。泣いてばかりでした。
    本来なら楽しくて希望に溢れた妊娠生活のはずが、やっぱり私は良くなっていなかったんだ、もう治らないんだ、そんな事を思って悲観に暮れて過ごしていました。
    お腹の湿疹が酷く、産科の医者に皮膚科へかかるよう言われ、最近の日本の皮膚科はどうなっているのか興味もあり、受診してみました。
    結果、約10年前と何も変わっていない日本の皮膚科の現状にビックリすると共に呆れたのを覚えています。
    私は総合病院の産科に通っていたので、その病院の皮膚科を受診しましたが、二回目には「次回から近所の皮膚科を探して行ってください。アトピーなんてどこで診ても一緒ですから」と言われました。
    近所の皮膚科へ行くと、妊娠中は使わないように書かれているプロトピック、気にしないで使ってください、手にはハンドクリームのようにベタベタに塗ってください。
    等々・・・
    とにかく今は我慢するしかない、と諦めたのを覚えています。

    出産が近づくと症状も落ち着いてきて、なんとか普通に出産することが出来ました。
    産後しばらくすると、今度は手の平に水泡がびっしりと出来るようになりました。
    赤ちゃんのオムツ交換、お世話などで手をかなり使うようになったせいではあると思います。でもそのうち、自分の洗髪さえままならない状態になりました。手が痛くて使えなかったです。
    実家の母に来てもらい、赤ちゃんの世話は母親に任せました。
    体の湿疹も産後になってまた出てきました。
    母乳育児にこだわりたかったので、ドクターに再診の依頼をもせず、とにかく耐えていました。
    毎日泣いてばかりで、つらすぎて赤ちゃんにあたってしまっていました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。

    他の患者さん10-3

    この記事を書いてくださったYさんが3/19に女の子をご出産されたとご報告を受けました。とても嬉しく思いました。

    続きです。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    その後も色々な病院を回りました。
    父親に連れて行かれた病院では、「入院して草だけを食べなさい。あなたたちはアトピーでいると楽だからアトピーなんだ」と言われました。
    またある病院では、手の爪の脇を針で刺して血を出すといいと言われ、通って血を出していました。
    そして内臓に何か問題があるのでは、という話を聞き、胃カメラを飲んだこともあります。
    あそこのお水がいいと言われれば、お水をお取り寄せ。食事療法も湯治も、とにかくいろいろ試しました。

    そんな時にまたネットで調べていて、ヒットしたのがアメリカでの治療でした。
    日本の医療は世界的にも進んでいて安心安全なものだと思っていた私は、当然半信半疑でした。でも、読み進んでいくうちにもうこれしか道はない、と思うようになったのです。
    でも、両親や旦那に今まで散々お金を使わせてしまい、迷惑をかけてきた身としては、すぐに旦那や両親に相談することが出来ませんでした。
    とても高額な治療ですし、ましてやアメリカ!英語も話せないし・・・
    それでも私の症状は一時期よりは良いものの、なかなかすっきりしない状態が続いていたので、思い切って家族に相談しました。
    すると特に反対もなく、あっさりと「試してみてもいいんじゃないか」と言ってもらい、拍子抜けしました。

    それが28歳の夏、今から9年半前です。
    当時はケアホームもなく、アメリカに住むアドバイザーの家にホームステイという形でした。私は直接アドバイザーと連絡を取り、結構すんなりと渡米治療が決まりました。
    渡米する時、全体的にカサカサはしていたものの、そこまで酷い状態ではありませんでした。浸出液も出ていなかったし、どちらかというととにかく乾燥で痒いという感じでした。
    アメリカに着くと、私より二週間先に治療に来ていた女性がいました。一人ではなかったので心強かったです。

    当時、アレルギー治療は絶対受けるものではありませんでした。ドクターマセソンが診察をし、アレルギー治療が必要だと思った患者のみがアレルギーの治療に行く形でした。(今ではアトピー治療に行った全員がアレルギー治療に行きます)
    ドクターマセソンは私の病歴、症状をみるとすぐに「あなたはアレルギー治療に行きなさい」と言いました。私がアトピーを発症した時の悪化の仕方は、アレルギー以外の何物でもないということです。アトピーは徐々に悪化していくものらしいですが、私はある朝起きたら突然に・・というものだったので、アレルギーが原因なんだそうです。そして、今はそれほど炎症も起きていないけれど、とても酷かったのがわかる、と全身の診察で言われました。

    ドクターマセソンの診察を受けてとても印象的だったのが、まずは患者がベッドに座ってドクターが立っていること。そして触診すること。日本では触られることはまずなかったです。そして足が酷いです、と言っても「背中と腕を見せて」と言われ、酷い個所を見る事もなく診察が終わったこともありました。

    ステロイドの注射をお尻にして、朝晩のお風呂、セタフィルクレンザーでの洗浄、プラスティベースでの保湿、ドキシペンの飲み薬、鼻の穴へのムピロシンの塗布(当時はムピロシンではなく他の抗生剤で、塗り方も違いました。9年も経つと研究が進んで、どんどん新しいものに変わるそうです)の治療が始まりました。

    最初は死んだように眠ったものです。どんどん皮が剥け、綺麗な皮膚が出てきました。
    アドバイザーに言われましたが、私はぐんと良くなるタイプだったようです。
    古い記憶なので細部まで覚えていませんが、治療を開始して一週間も経つと、もうとても良くなっていたように思います。
    アレルギーの検査で調べたところ、私のアレルギーは埃・ダニ・カビ・猫・背丈の低い雑草でした。注射のボトルは2本です。

    私が渡米治療で記憶にあるのは、毎日のようにショッピングに行っていたことです。映画を見に行ったり、メキシカンの船上パーティーに連れて行ってもらったり・・
    治療に来たということも忘れて、とても楽しい1ヵ月間でした。ドクターマセソンの診察も、後半は必要ないんじゃないかというくらい、良くなるスピードは速かったです。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    AAJで3/24にワークショップをやるそうです。
    今回はスカイプでドクターマセソンとつないで話をする機会を設けたそうです。詳細はAAJのHPをご覧ください。
    渡米できない事情の方でもドクターに質問する事が出来ますから、とても良い試みと思います。参加しても取って食われる事はありませんから、行ける方は出来るだけ行かれると良いと思います。


    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。

    他の患者さん10-2

    続きです。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    通い始めて一か月後、どんどん悪化していき、最終的に鍼灸師も素手で私に触らなくなっていました。
    両親に説得され、私も命の危険を感じたので病院へ行く事に同意しました。

    感染症を起こしていると言われ、本当はステロイドの注射をしたいところだけど、注射をする皮膚がない、と言われ、内服ステロイドでまずは症状を落ち着かせました。
    そのまま入院し、約一か月半、紫外線療法をすることになりました。皮膚を焼いて強くする、というものです。

    一度心底傷ついた皮膚は、不安定なものでした。それまでは体はそこまで酷くなかったんですが、体も皺だらけで黒く、いかにも薄い皮膚になってしまいました。
    二か月に一回、上京してその病院に通っていましたが、どうも良くならず。ステロイドの塗り薬の量は増える一方でした。

    秋になってまた悪化し出し、またしても私の頭には脱ステが浮かびました。
    そんな時にネットで調べていると、入院をしながら脱ステをしてくれる病院がある、というのを知りました。
    電話で確認もせずに飛行機に飛び乗りました。
    なんとか先生を探しあて、たまたま空きがあったので入院することができました。
    そこでの治療は、脱ステロイドと脱保湿、イソジンで消毒をするというものでした。
    最初こそ、やはりリバウンドに苦しめられました。でも、病院で脱ステできるという安心感がストレスを最小限にしてくれました。
    脱ステも初めてではなかったので、浸出液が溢れる、というよりは乾燥で皮膚がカピカピのガサガサになっていました。

    約一ヶ月半後、退院する頃にはむき卵のような、本当に綺麗な肌になりました。自信を持って帰宅したんです。

    が、退院して数日もすると、目の周りがパンダのように赤くなり、肘の内側、膝の裏が熟したトマトのようにジュクジュクし、膝も肘も曲げる事も伸ばす事も出来なくなってしまいました。一日中居間のソファーに横になり、また引きこもり、寝たきりの生活が始まりました。旦那にも顔を見られたくなく、夜も一番暗い照明で毎日過ごしていました。
    そして、数か月経っても良くならず、同じ病院に再入院することになりました。

    最初のリバウンドは浸出液まみれ、二回目のリバウンドは乾燥でカピカピ、三回目は部分的にジュクジュク、なぜ毎回違うのか不思議に思ったものです。

    二回目の入院は前回よりも早く回復し、自宅に戻りました。
    そしてやはり数日後には元の木阿弥・・・結局家に戻るとだめなのかと。もう人生終わった気がしていました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。

    他の患者さん10-1

     渡米治療をした他の患者さんから体験記を頂きました。
     この方は私よりも先輩の患者さんで、一度良くなったのですが出産とアレルギー注射の終了のためか再発、アレルギー治療目的で再渡米された方です。
     現在はすっかり良くなられ、今頃は二人目の赤ちゃんの出産中と思われます。
     私の前置きはさておき、早速。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    現在37歳、専業主婦をしています。

    私はいわゆる、成人型アトピーです。
    幼少期からアレルギー性鼻炎はあり、小学生の頃まで時々膝の裏がカサカサすることはありましたが、アトピーと言われた事も自分で認識したこともなく、19歳までは普通に楽しい毎日を送っていました。

    高校を卒業して地方の短大へ進学することになり、親元を離れて一人暮らしを始めました。冬になり、あまりの暖かさに二日連続でこたつで寝てしまいました。
    三日目の朝、起きると顔から足まで全身、真っ赤っかになっていました。慌てて皮膚科に行くと、そこで初めてアトピー性皮膚炎という診断を受け、そこから私のアトピーとの付き合いが始まりました。

    20歳で地元に戻って就職をし、23歳で短大時代の土地に嫁ぎました。24歳までは定期的に皮膚科に通ってステロイドを毎日塗っていましたが、見た目にアトピーとわかるほどではなく、痒みや湿疹となんとかうまく付き合っていました。
    趣味でダンスもやっていましたし、汗を刺激に感じる事も特になく、ドーランを塗って舞台にまで立っていたくらいです。

    ある時、人づてにあそこの病院がいいという評判を聞き、新しい病院に行きました。そこで顔に今まで使っていた薬を見せると、こんな強い薬を顔に使うなんてあり得ない、と言われて弱い薬に変えることになりました。
    そこから急に顔が赤くなり始め、みるみる痛みを伴う湿疹だらけになりました。あとから思うとリバウンドだったんだと思います。
    湿疹がひどくなる一方でしたが、友達とディズニーランドに行く予定をしていたので、痛みをこらえて行きました。帰る日の朝起きると、それまで出ていた湿疹が嘘のようになくなり、顔がパンパン、おにぎりのように真っ赤に腫れ上がっていました。目も開きません。
    旦那に車で4時間かけて迎えに来てもらい、そのまま病院に連れて行ってもらって即入院になりました。
    私が悪化するのは秋頃からで、二年続けて秋から冬にかけて入院するほど顔が悪化しました。

    その後、知り合いの勧めで脱ステを始めました。すると、それまではほとんど症状のなかった体にもみるみる湿疹が拡がり、浸出液は溢れ、目も口も開けることが出来づらくなっていき、ほとんど寝室で寝たきりでした。
    脱ステを進めた知り合いは、東京の鍼灸&整体師の元に通ってリバウンドを克服した、ということだったので、家族と相談し、地元に戻って姉の家に居候してそこに通うことになりました。
    一か月の間、週に3~4日は電車で2時間かけて通いました。季節は初夏でしたが、食事制限でやせ細り、肌のバリアはボロボロで浸出液まみれ、深々と帽子をかぶって長袖を着ていましたが、常に震えていたのを覚えています。
    その鍼灸院では鍼にお灸、強酸性水を肌の保湿に使い、食事も添加物は摂らないという療法をしました。朝起きるとまずはお風呂で夜のうちに出て固まった浸出液を洗い流していました。といっても夜はほとんど眠れず、体を丸くしていないと痛くて仕方なかったので、ずっとソファーに寝ていました。朝起きると革張りのソファーに顔の皮膚が引っ付き、バリバリと剥がして起きていました。その間、自分の姿を見る事がどうしても出来ず、リバウンドを起こしてからの数か月間は一切鏡を見ませんでした。
    旦那に申し訳なく思い、毎日のように手紙を書いて離婚してもいいよ、と言っていました。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。

    達成感

     頬にニキビが1つ、出来ました。
     これが保湿過剰のサインか、と思って、今まで使っていたセタフィルの保湿クリームからローションに落としました。

     私はかなりドライな体質な様で、去年まではワセリンを使う事が多かったです。でもセタフィルの保湿クリームに変えてから、ワセリンよりむしろ保湿が上手くいくようになった様に思います。多分、ワセリンが衣服に付着して取れてしまっていたのかな、と思いました。セタフィルの保湿クリームは皮膚への密着度が高いのかもしれません。これに変えてから、首のトラブルが激減しました。
     でも冬に入ってみると保湿クリームだと水分量が少ないようで、潤い不足感がありました。なので夏に使っていたニベアのクリームローションを大量に使ってみる事にしました。すると一日中潤い感が続き、体も温かくなりました。
     それからクリームローションの大量使いをしていましたが、最近また、保湿クリームを気分で使ったりしています。
     ニベアのローションも少なくなり、セタフィルローションも使ったりしています。セタフィルローションは近所の薬局には無いので使った事がなかったのですが、セタフィルのクレンザーとローションを誤発注してしまい、我が家にやってきました。返品も出来なかったのでそのまま使ってみる事にしましたがなかなか良いのです。脱衣所に保湿グッズは置いてあるので、夫もこの冬、使っていたそうで、静電気がほとんど飛ばなかったですね。冬はいつも静電気マンだったのですが。(冬に静電気で悩む人は、乾燥が主な原因という事がわかりますね)使用感が良いので、男性も使いやすいと思います。なので今後はニベアからセタフィルローションにしようかな、と思います。
     
     さて顔ですが、ローションを塗るのは初めてでした。正直、最初だけピリッとした刺激を感じました。2回目以降はほとんど感じなくなりましたが、顔にローション合わない、という人もいる事を実感しました。
     鼻周りは全く保湿していません。顔も乾燥の分布があるなぁと思いました。体もあるんですよね。よく帰国後、ニキビと乾燥が混合してしまい、保湿が難しいという事を聞きますが、そうだろうと思います。見えない所に関しては誰かに見てもらって、保湿の分布を把握して保湿剤も使い分けが必要ですね。私も夫に年に何回か背中を見てもらっています。すると「ここがカサカサしているよ」とか「クリームが届いていないよ」とか指摘を受けます。

     そうそう口角炎ですが、単純ですがリップクリームを口を開いて口角にべったり塗りこむようにしたら、出てくる頻度が激減しました。ビタミンB2を毎日飲んでいましたが、やめてしまいました。ワセリンでは塗っているつもりだったのですが、リップクリームの方が取れにくいのでしょうね。
     アトピー肌は皮膚表面の細胞が空き空き、というのを意識すると、口角も同じ事で保湿が上手くいっていなかった事が原因だったのかもしれません。口は物を飲んだり食べたりするし、女性はお化粧をする都合上、無意識に保湿に気を使いにくい場所なのかもしれません。

     渡米した時のカッサカサの痩せた肌からニキビが出来るほどの潤い肌になるまで5年以上かかったけれど、ようやくたどり着いた感があります。今渡米する人たちの方が保湿が上手なので、みんなどんどんセタフィルローションとか、何も使わなくなる人とかいるので羨ましいですが、私なりの速度だったのかな、と思います。実はニキビが頬に出来た時、何となく、本当の完治状態に至ったような気がしました。

    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。

    一年経ちますね

     東日本大震災から1年がたとうとしています。

     私が住んでいる地域でも震度3の地震があり、電車通勤の夫が帰宅出来なくなり、会社の車にみんなで乗り合わせて帰宅しました。テレビではずーっと地震のニュースが流れ、津波の映像に息を呑みました。
     夫と災害時の対応について、話し合いました。
     私は自宅にいる限りおそらく大丈夫なのでそのまま家にいるか、よほどの事があれば避難所へ行く、私が夫を待つようにして、すれ違いを防ぐ事になりました。でも夫はその時の勤務先によってはこちらに帰ってこられなくなる事もあるし、私も実家の両親の事を考えると、両親の近くの避難所に行く可能性もあり、どこにいるか、連絡が取れるか、実際には分かりません。その時に夫が言いました。
    「大丈夫。何キロ何十キロでも歩いて帰ってくるから。家に居なかったら避難所を全部探すよ。」
    と。
     その言葉に涙がこぼれました。この人と結婚して良かったなぁと思いました。

     でも、そして思ったのです。

     去年の3月11日。被災地で夫と同じように思っていた人たちは大勢いた筈です。愛する家族に会うためならどれだけ歩く事も厭わない、そういう人達が大勢いた筈なのです。それを思うと胸が熱くなりました。

     毎日の平凡な生活は、本当は脆く崩れやすいものの上に成り立っていると思います。その事を忘れずに過ごしたいと思います。

    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。 

    殊勝な態度

     母が年をとり、膝を悪くしました。ヒアルロン酸の注射に行ったりしていますが、悪化傾向です。痛い痛い、と言うので、ネットで膝の医師を探したりしました。そういった専門医に一度受診するように勧めましたが、なにやら友達とのクチコミの情報を頼りにしているようで、結局のところ本人としては今のままでいたいそうです。

     私は、それはそれでいいのですが、怒れたのは母の態度です。
     母の膝が悪くなったのは、仕事を退職したのが大きなきっかけです。70過ぎのリタイアでした。私は母のリタイアには基本的に反対でした。母は元来働き者で、趣味を楽しむタイプではありませんでしたから、急速に体調が崩れる事を危惧していました。
     でも母の人生ですし、年をとると職場に居辛くなるのもわかりましたし。
     ただ問題は高齢者は運動量が落ちると急速に筋肉が落ちてしまって弱ります。想像以上のスピードです。刺激が無くなり精神的にもハリを失いますから、一気に色んな病気にもかかりやすくなります。ですから、ボランティアでも何でも良いので、外出の機会と社会との接触を続けて欲しいと話しました。
     ところが母は家に篭るようになりました。運動は30分ほど買い物を兼ねた散歩のみです。これではとても足りません。
     結果、膝がどんどん悪くなっていきました。

     病気を治そう、状況を良くさせようと思うのであれば、その病気についてまず知る事、そして出来る事を探して実践する事でしょう。
     ところが母の態度は、病院に通えばいい、情報はクチコミで、といったものです。
     病院でもちゃんと説明はしてくれません。
    「膝が悪くなっちゃったね。年だねぇ。じゃ、注射しとこうか。あとで電気かけてってね。」
    程度の話で終わっているのは想像に難くありません。日本の医療なんて、こんなもんです。ですから治そうと思ったら、ある程度自分で勉強して、一歩踏み込んだ質問をしていかなくてはいけません。運動の説明も紙一枚渡されたきりだという事でした。

     母はあんまり痛いから手術も考えている、というので専門医を調べたのですが、結局は私の徒労に終わり、それどころか電話口で母と喧嘩になりそうになりました。
     母が動けなくなったら誰に迷惑をかけるのか、それを考えていない母の行動に腹が立ちましたが、もう勝手にしろ、と思いました。殊勝な態度が見られない人に情けはかけたくありません。

     母との関係は今までもこんな感じでした。実の親子は関係が悪化すると歴史がある分、婚家先の義理の関係より始末が悪いのです。
     私は三姉妹の三女で手抜きで育てられたのを感じていた分、こういう時に我慢する気力がありません。子供は大事に育てるものだとつくづく思います。子育て中の皆さん、可愛がって世話して育てましょうね。
     今回のような事は今後も繰り返されるだろうと思うので、出来るだけ距離をとっておきたいと考えています。

     私には子供がいませんから、老後の頼りはお金だけです。医療もどんどんお金がモノを言うようになりました。母の膝だって、おそらく世界の先端医療技術ならあっさり良くなったりするものなのでしょう。尾崎豊の歌で「ダンスホール」という曲があるのですが、その中の歌詞に
    「金が全てじゃないなんて きれいには 言えないわ~」
    とあるのですが、最近そこが頭の中を流れる事が多いです。。。

     私は夫に迷惑をかけないように、運動など自衛出来るものはしていきたいと思いました。
     
    人気ブログランキングに参加しています。ランキングが上がると更新への励みになります。応援、よろしくお願いします。